Sustainability talk 15 田中伸男(後編)

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Copenhagen / Denmark

9月15日に野田佳彦新首相が所信表明演説を行ない、「『脱原発』と『推進』という二項対立でとらえるのは不毛です」と述べました。

そうですね。
二項対立ではありません。
徐々に減らしていくにしても時間軸がありますし、どんなスピードで減らしていくのか、そのために何の代替エネルギー技術が必要で、どんな電力市場が必要で、需要サイドの省エネはどれくらい必要なのか、など全てのことを考えないと答は出てこないのです。

ゼロベースというのは、今までの計画をとりあえず白紙に戻し、議論してみたらいいと思います。
世界がどうなっているのかを考えながら。
特に、エネルギー政策、原子力についてこれほど真剣に考えるのは初めてのことでしょうし、それは良いことだと思います。

原子力発電は、始めるには相当な覚悟が必要ですが、その覚悟が日本に果たしてあったのか。
核兵器保有国は相当な覚悟をしていますが、日本は原子力を平和利用に限定したので若干、平和ボケしていたのかもしれません。
「これほど大きなリスクがあったとは想定外だった」と言うのは無責任です。
また、それを捨てるかどうかの決断には、それが世界にどう見えるかという視点も考えなくてはなりません。

日本が世界で尊敬される国であり続けるためには、世界中が原発を続ける中で日本だけが「恐いからもうやめた」ではすまないでしょう。
世界が求めているのは、福島事故の教訓、すなわち、より安全に原子力を活用する技術、運用のノウハウ、そのための安全規制のあり方でしょう。
日本のように地震や津波が多い国で安全に運用できるなら我が国でもできるだろう、と考えられるための技術が日本から出て行く。
これをつくらなくてはならない。
それを期待されているのだと私は思います。

3月11日以降の日本の動きは、世界には、廃止の方向に見えているのでは。

ドイツ、イタリア、スイスはやめると言っていますが、他の原子力利用国ではどこもそうは言っていません。
世論調査ではやめるという意見が増えていますが。
確かに、その通りでしょう。

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Amsterdam / Netherlands

先日、NHKの番組「マイケル・サンデル 究極の選択『大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜』」(4月16日)を見ていて驚きました。
中国、アメリカ、日本の3か国を中継でつなぎ、それぞれ学生10人をスタジオに呼んで原発について議論をしました。
サンデル教授の原子力発電を続けるべきかとの質問に対し、何とアメリカの学生は一人も「やめる」という意見を持っていない、全員が「原発は維持すべき」の意見でした。
日本は半々、中国は10人中2人だけが「減らす」と言っていました。
アメリカは核兵器保有国でもあるし、原子力を持っていることはナショナルインタレストというコンセンサスがあるのですね。

日本は象徴的で、3月11日の東日本大震災以降、「危ないものはやめたほうが良い」という議論になっているという印象です。
その中で日本の女子学生が「原発を進めて来たのだから、日本人全員に責任がある。
従って、政府だけに責任がある、東電だけに責任を押し付ける、福島の人だけが責任をとればいいというわけでなく、何らかの形で日本人全員が責任をとっていく必要がある」と発言していました。
覚悟を持つというのは、こういうことなのでしょうか。

ドイツについては、ヨーロッパの人たちが言うには、原発を急にやめたのはドイツの特殊事情だという人もいます。
ドイツ人は非常に論理的で技術に対してはオプティミスティックなのですが、チェルノブイリ事故以来、原発についてだけは非常にペシミスティックに考えます。