Sustainability Research 19

我々は、システムだけでは事故を減らせないと思っています。

アンドレ・ジーク ドイツ連邦運輸省交通研究所 自動車工学部長

写真:アンドレ・ジーク

自動車と運転の基本を決めた、ウィーンコントラクト1968。
クルマづくりの基本ともなっているこれには、クルマにおけるドライバーの指揮権優先が定められている。
世界のなかでも特にかたくなにこれを守る姿勢を見せて来たヨーロッパだが、近年はそれにもゆるみ始めているように見える。
それには、ActiveSafety/ITSの著しい進化がある。
EuroNCAPのチェアマン/ドイツBAStの自動車工学部長、ジーク教授に訊く、自動運転とヨーロッパ。

今日のヨーロッパは自動運転に関してどう考えているのでしょうか。

法を構築する場合は全て、ドライバーが自分自身の行動に責任があるケースに基づいています。
ですから、ロボットつまり自動運転システムが稼働しているときにも、ドライバーが操作を手動でできる可能性がなくてはなりません。
もしできない場合は、衝突を避けられない。
これが、今現在、我々が行なっている法の構築です。

しかしもし、完全な自動運転を本気で望むなら、我々は全く新たな法を構築しなくてはなりません。
なぜなら、ドライバーはもはや責任を負うことができないからです。
これはマシンについての責任だけで、手動で操作できる可能性はありません。
ドライバーにはマシンよりも時間が必要なのですから。
もしあなたがドライバーで0.5秒以内に運転できる状態に戻って操作しなければオーバーステアする可能性があるとしたら、そこにはチャンスはありません。
これが、現時点で我々がウィーン会議で多少なりとも広めようとしていることです。
しかし、それは自動運転を認めるということではありません。
自動運転は、今のところはまだ先のことでしょう。

写真

Munich / Germany

我々が自動運転の可能性を引き出そうとすることに対して、我々はウィーン会議を何も変える必要はありません。
National Law(その国独自の法律)もです。
ウィーン会議は、基本だけです。
我々は、これに基づいた別の国法を持っています。
多少は共通点もありますが。
しかし我々は、自動運転を認めるためには法を変え、ウィーン会議を変えなくてはなりません。
そして全ての国の異なる国法もです。
それは、PL法であったり、そうですね、英語ならばbehavior lawでしょうか、トラフィックでの振る舞いです。
高度な自動運転、完全な自動運転、…例えばそれは、我々がどのように、典型的な高度な自動運転車両、完全な自動運転車両をつくるか、についてです。

我々は、システムだけでは事故を減らせないと思っています。
なぜなら、人間が最も事故に影響を与える存在だからです。
ですから、マシンが自動運転になれば我々は事故の削減を期待しますが、一方、クルマの変化によって新しいタイプの事故も起きるでしょう。
それは機械が原因となる事故でしょう。
多くの事故を減らすと同時に、少ないかもしれませんが新たなタイプの事故も生まれるわけです。
いったい、それは誰の責任でしょうか。
我々が償わねばなりませんか。
その問いに対する答えは今のところはないのです。

これはもっと先のことですが。
BAStには二つの法律面でのエキスパートがいて、それについて活動しています。
今のところ、ひとつは非常に高度な自動運転について、もうひとつはドラーバーアシスタントシステムについてです。

写真

London / UK

我々が作ったのは、まず定義です。
自動化について、4つの異なるレベルを明確に分けました。
自動化に関する異なるレベルを定義することが先決です。
自動化無し、部分的な自動化、高度な自動化、そして完全な自動化です。
部分的自動化は可能ですが、高度な、あるいは完全な自動化ではドライバーは操作に戻ることができません。
それゆえ、これは全く異なるもので、つまり先の話で現状では不可能です。
しかし技術を見ると、多少は準備ができている。
はっきりは言えませんが、おそらく数年のうちに、高度なクルマも現れるでしょう。
その時には我々は完全に法律のフレームを変えなくてはなりません。
我々は今それを検討していますし、今考えているのですが…。
というのも、クルマメーカーが高度な自動化の機能をクルマに導入しようとする時では、法律を変えるには既に遅いからです。

法を変えるには何年もかかります。
つまり、技術の開発も法的理解そして法の改正と同様でなくてはなりません。
ここに、大きな問題があります。
BAStはドイツ連邦運輸省に属していますが、運輸省が法の改正には責任を負わないことです。
法は司法省の問題です。
ですから、我々は運輸省だけでなく司法省、経済省の3つの省庁と話しをしなくてはなりません。
それはドイツでのことで、さらにヨーロッパ全域、そしてアメリカや日本など世界のことも考えなくてはなりません。
しかし未来を見据えて定義づけをすることは非常に意義ある活動です。
なぜなら、もし異なる定義づけをしていたら、話し合いができないでしょう。
まず、何について話しているかを明確にし、その問題について理解しなくては話しができません。