Sustainability Talk 006

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Munich / Germany

それはグローバルに言えるることですか?

そ地域ごとの空気汚染を改善することは、安全を高めることにつながります。
例えばロッテルダムの近くの高速の速度は時速120km速度制限でした。
これが空気を汚しており、その近くの村に住んでいる人にとって「許容量を超えている」とWHOが言っているほどの排気ガスが出ていました。
そこを80kmに落としたのです。
これはスピードチェックのカメラを置いて実際に行われたことですが、これによって空気汚染度が大幅に下がりました。
クリーンな空気によって人々の健康も戻ったのです。
同時に安全にもなりました。
環境対策が安全をも作り出す。
安全対策により、逆にまた環境も改善される。
二つの問題を一本化した包括的な見方で見ていくことが重要だと思っています。
そして、もっと我々が実際に直面している問題の深刻さを知ってほしい。
環境の問題について、このままでは壊滅的な結果になるということを人々は理解するようになってきました。
しかし、安全に関しては、特に低所得国では、数字を見ればみるほど、健康に対する損失、害が如何に大きいかがわかるはずです。
過去百年よりも、この先30年にできる車の数のほうが多いのです。
その多くがいま出てきている新市場で売れています。
死亡率においても交通事故に匹敵するものを探すのが難しいくらいだ。
21世紀の前半に、ものすごく大きな戦争で死ぬくらいの数の人々が交通事故で死ぬだろう。
リスク分析すると向こう50年で1億人くらい交通事故で死亡すると言っている人もいる。
あるいは巨大なスペイン風邪のようなもので5千万人くらいの人が亡くなるとか、それもまた小さい確率といわれているが、可能性としては非常に低い。
確信を持って言えることは少ないですが、交通事故の場合は、100%の確率です。
7500万人が向こう50年に亡くなるのは。
命が大切なら、いま何を一番心配するべきですか。
ますます奇妙な世界になってきていると私は思いますが、ごくわずかな人間を除いてはこのことをあまり重要なことと思っている人がいない。
だが数字を見れば見るほど、へんてこなことが起きている。
すごく大きな数字だし、確実だといえるのに。
人類のの文化は学習する文化でなければいけないはずですよね。
かつ好奇心が強い文化でなければいけないはずだし、自分の将来、運命を自分で決定する文化でなければならない。
良いか悪いかは別として我々はそういう存在であると、認識をする文化ですね。
そうでありながら、直しがたいほど我々は盲目です。
過ぎてしまった20世紀に学んだはずのことがあまりにも見えていない。
高収入国においては、20世紀に交通事故死の人の数はすごく多かったのです。
もう忘れてしまっているのかも。
あえて言いますが、交通事故死は、テクノロジカル・デスなのですよ。
つまり、どうにか出来る。