Sustainability Research 24

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Arlington / Virginia / USA

ドライバー教育は必要無いのでしょうか?

私はドライバー教育にたいしてネガティブな考えを持っているので「ドライバーが何をしたとしても衝突事故を低減させる事はできないか」と良く聞かれます。
勿論それはあります:スピードを落とす。制限速度を守る。2秒以上前の車に近づかない。
これらの規則を全てドライバーが守ったら、事故はずっと減るでしょう。
だからドライバーは大きな違いを生むのです。
だから事故の90%は何らかのミスを犯すドライバーが原因と言われるのです。
全ての規則を守る事によってこのミスを減らす事ができますが、みんなそんな事は分かっているでしょう。
問題は、どこかに出かける時に、自分がスピードを出して運転してもそれが事故に繋がる可能性はゼロではないにしても、限りなくゼロに近いことも分かってしまっていることでしょう。
宝くじに当たるみたいなものだとね。
そうドライバーが判断した時に、潜在意識下の計算では、(そしてその計算は合っているが)「危険はない」です。
しかし社会にとっては「危険である」ですよね。
負傷者の対応や、愛する者の死によって打ちのめされる家族など。
だから社会にとっては非常に危険だし、高くつくのです。

ドライバーを変えようと試みることに関して、人は何かをするときに常に可能性というものを計算します。
スピードを出しても事故に繋がるほんわずかの可能性は、他の事に比べてあまり重要性をもちません。
重要性を持たせる唯一の方法は法律がしっかりと施行されることです。
スピードカメラでスピードをださせない。
そうすれば衝突事故は減ります。
カメラ設置で信号無視を止めるなどですね、そうすればみんなもっと注意を払うようになります。
私は、意図的に赤信号を無視する訳ではなく、注意を払わないからだと思います。
行動を変えるにはトレーニングではなくて、「社会にとってあまりにも高くつくから、速度を落とさなくてはいけない。赤信号を守らなければいけない。」と、そうすれば行動を変えることになると思います。
例えばシートベルト、これでさえも法律にしなければなりませんでした。
皆シートベルトは安全に繋がる事を知っていながら、法律になるまで守らなかったのです。
もしもシートベルトをしなくても、何か悪い事が起こる可能性は非常に少ない、という現実的な考えに戻っていたのです。
でも誰もが同じ判断をすれば、大勢の人が病院行きになり、死者もでる。
人々の行動を変えるにはインセンティブが必要なのです。

これは我々が現場で取り組んでいる興味深い問題です。
事故の90%は、ドライバーが正しい事をしていればを防ぐ事ができた。
しかしドライバーに介在して彼らを変えようとするのは効果的ではないのです。
だからInstituteでは、効果的な様々な方法を検討します。
ドライバーを変える事はしますが、それは社会の為に必要と我々が判断した法律を施行することによってです。
飲酒運転が同様でした。
法律がなければ誰もが飲酒運転をするでしょう。
事故にあった時に人を守る、車両に搭載されている技術は大きく進歩しましたが、車両がそれ以前に衝突を防いでくれるようになります。
考えてみれば、これは良い方向に向かっていますよね。
高速や高エネルギーで、我々自身に怪我を負わせるようにしたのが車なのだから、その車両のデザインをどんどん高めて何も悪い事が起こらないようにすることができたらよいのではないでしょうか。

ところで、制限速度を高くしていっているのは世界でアメリカだけです。
興味深い問題なので次の機会に話し合いましょう。