Sustainability Research 004

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London / UK

バリアフリーやユニバーサルデザインは、今やさまざまな場所に生かされてきていますが、人間の感覚を失わせている一面もあるのでしょうか。

そうです。これは気をつけなくてはいけない点です。人間の習熟とモノのあり方を捉えないといけないでしょう。
かつて、松下電器産業にプロダクトデザイナーとして所属していたときのことです。一般的なガスコンロには二つ、コンロがついていて、まん中に魚焼きのグリルがついています。そして魚焼きグリルのスイッチは一番右端についています。
しかし我々は、スイッチはグリルのそばにあるのが使いやすく点火しやすいと考えて、左端にグリルを設置し、三つのスイッチを横に並べ、グリルのスイッチは、グリルのそばにつけました。
ところが、テストを行うとほとんどの人が、とっさに止めようとした際、一番右端に手が伸びてしまうんです。グリルのスイッチは一番右端にある製品がずっと作られてきた。そういう経過があるため、それが刷り込まれていた。
普段使う時はいいんです。気持ちにも余裕がありますから。しかし、焼いている時に煙がもうもうと出てきたり、トラブルが起こったときは、その人の経験や感覚によって反射的に手が動きます。煙が出てきたら80%の人は右端のスイッチに手を伸ばす。必要ないガスの火をつけて、肝心なところの火を消すことができない。
これを調べていくと、人間の「使い慣れ」がとても重要だと思い至りました。それをモノづくりの中にきちっと入れていかないと、不安全なものができてしまいます。
その時に作ったのは、左端に魚焼きグリルがついているけれども、そのスイッチは右端に設置しました。デザインの定説では、そんなに離すのはおかしいけれど、デザインの定説よりもユーザーの使用時の安全性を優先させようと、敢えてそうしたレイアウトにしました。
でもそれも今は変わりつつあります。ガスコンロで言えば、コンロのスイッチを回すとかちっと音がして火花が出て着火する。でも、高齢者や手に障害のある人には回しにくいのでタッチスイッチにしましょうと。
でもちょっと待った、それは技術サイドの考えです。触っただけで火がついてしまうの?と疑問がわきますね。スイッチに意識をせずにちょっと触れてしまうこともあります。軽いタッチで火がつくのと、火をつけるのにカチッと負荷をかけるのと、どちらが安全性が高いのか。意図せず触れた時には火がつかない、というものを作る技術は今のところできていません。
調理しないときはスイッチ部が収納されたり、チャイルドロックをかけるという製品もできてはいます。できているのはせいぜいその程度です。しかし、調理のたびにスイッチを出し入れする人が何%いるんでしょうか。結局は出しっぱなしです。使いやすさと安全は、家電にもクルマにもとても微妙なバランスのところにあるんです。

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New York City / USA

先ほどスピードの話がありましたが、運転者が前方やまわりを見ている視線を動かさずに、情報を的確に瞬時に伝えるには、デジタル数字でなく針式のメーターで伝え、そこに必要なら音声を加える。カーナビゲーションは音声案内を充実させていますが、それは視線を前に向けたまま情報を伝えるためです。
クルマにはかつて、スピードメーターとタコメーターが運転者の真正面にありましたが、今はスピードメーターが左側に設置されています。人間の目の視野はおよそ150度くらいといわれています。運転中は狭くなりますから、90度程度でしょう。すると、その視界の中に必要な情報があり、あちこち顔を動かさなくても情報を得られる、ということがクルマに求められているひとつの安全性でしょう。
メーターが何もまん中でなくてはならないということではない。結果として、できてきた姿なんだなという気がします。
そうした研究は日本も進んでいて、日本のクルマの良さは、クルマとしての安全性の高さだけでなく、インターフェイスの安全の高さもあるだろうと思います。クルマは大半がガソリンエンジンで動いていますが、それを動かし、コントロールしているのは電気です。ですから、いかに電気でコントロールするかという比重が大きい。高級車でも床下を見ると電気の配線だらけです。
ハーネスというケーブルが前後に這い回っています。クルマは動力で動くけれども電気によってコントロールされていて、そこにクルマの安全性の高さが求められています。一方、人間の習熟は技術革新のように急激に進まないので、人間の習熟度や認知度と技術革新がうまく整合性を取っていくかでしょう。それがうまくいかないと、人間は不安になるし使えないと思ってしまいます。

携帯電話はかつて高齢者に「あんな小さなもの、機能がどれほどあるかわからないが、使えない。取説を読んでわかったころにはもういない」と避けられていましたが、操作がシンプルで、機種を変えても基本操作が変わらないようになってくると、高齢者にも受け入れられるようになってきました。
人が機械になれてくる過程で、使い勝手や安全性も変わってきます。それをモノづくりの側も理解をしていかなくてはいけません。人は、これくらいは誰にでもわかるだろう、ついてくるだろうと思い込んでしまうものです。
でも、世の中にはついていけない人もたくさんいる。開発したものを検証するときは、わかっている人間だけでなく、ついていけない人も、両方で検証しないと、安全なモノづくりはできないでしょう。ユニバーサルデザインについても、モノづくり、街づくりに関わらず、高齢者や障害のある人を含め全ての人々について検証していかないといけないと思います。
それを怠ると、暮らしやすい社会にならない。いくらものすごく高度な技術でいいもの、安全なものを作りましたと言っても、技術側の言い分です。確かに安全性は高いかもしれませんが、それは使う側に正確な情報が伝わって初めて安心感が得られます。
安全は、ある程度まで技術者が解決できる問題です。でも安全と安心とは意味が違います。受け取る側まできちっと伝えてやらないと安心につながらない。安全、安心とよくPRしていますが、人間のメンタルな部分にまで踏み込まないと、安易に言ってはいけないんじゃないでしょうか。