Sustainability Research 004

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Bangkok / Thailand

規制が、自由な経済活動をしばっている例は、日本には多いですね。

たとえば、仕事がない人が日本中に三百数十万人もいます。一方で、使われていない田畑が日本中にものすごくあります。どうしてそれを活用していかないんでしょう。農地とか、農業の法律とか、問題なんでしょうかね。
ホンダがガスコンロのカートリッジで動く耕耘機を開発しましたね。あれ、もっと活用したらどうでしょうね。今、仕事を求めている若い人、いっぱいいるんですから、政府がそれを借り上げて、土地も確保し、そこに若者を集めて、あの簡単な耕耘機でも農業が始められるようにしましょう、なんていいじゃないですか。実証実験、すればいいんですよ。
もしかしたら、そこでは自立できないかもしれませんが、まずはそこに仕事があって、働くことができる。そういう機会づくり、場づくりをどうやって進めていくかを考えないと将来が見えないですね。少なくとも使っていない耕作地をゼロにすべきです。それで自給率を上げる努力をする。そういうお金の使い方をすべきでしょう。

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London / UK

安全なデザインとは、どういうものでしょうか。

ひとつは、「クルマというものが存在をしている」というのがよいデザインと思います。存在していることを周りの人が認識できるという意味です。それは音であったり、形であったりするでしょう。
もうひとつは、「クルマは完全に安全な存在だと言えない」わけです。あんなに高速で動くものが人間と一緒にあるわけですから。であれば、「もっと存在して楽しいもの」でないと、意味がないと思います。
もちろん、安全であることは大変大事なことです。でもそれは技術でカバーをしていくことでしょう。使い勝手をよくして、安全に使えるようにしていくとこってとても大事です。
しかし、クルマが社会悪であることは認めざるを得ないでしょう。化石燃料を使い、電気を使うようになります。それがだめだというならば、クルマなんか無くしたほうがいい。でも、地球に負荷をかけてしまっていて、高速で動くものとしての危険性もあるんだったら、存在するには、クルマの楽しさ、「存在する価値、存在する意味」と言い換えてもいかもしれませんが、それをしっかり持っていてほしいですね。
移動する楽しさ、見た目の格好良さかもしれません。必要な時に移動できる利便性かもしれません。ドライビングの楽しさ、高速で移動できる楽しさ。そういう感動を与えてくれるから、存在する価値がある。
トヨタや日産やホンダが、どれだけエコロジーと言ったところで、どっちにしても地球環境に負荷をかけているのですから、偉そうなことは言えませんよね。ならば「負荷をかけているのはごめんなさい」という姿勢があって、「でも我々はこんなに楽しいもの、利便性の高いものを作りましたよ」といわなければ。
あとは、人間がいかに使いこなしていくか。そして人と機械が衝突しないようなしくみづくりでしょうか。
衝突するのはもうしょうがないですよ。100kmで移動するクルマがぶつかったら、もしやわらかいウレタンでかこっていたとしても、人間はぶっ飛びます。そこには限界がある。
でも、安全技術の開発は一生懸命やってもらった上で「でもクルマってこんなに楽しくて感動をくれるよね」というものがあれば、使う人も楽しさや感動を大事にして、安全に使いこなすようになるのではないでしょうか。