Sustainability Research 22

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Gothenburg / Sweden

自動運転によって、ドライバーの責任はより小さくなるのでしょうか。

それは、非常に複雑な質問ですね。特にヨーロッパでは。
なぜなら、ご存知のように、我々はそれについて討論を交わしてきました。ウィーン会議の「ドライバーが制御すべきだ」といった厳格な考え方に基づいて。
そして、ジュネーブでも激しい論争をしました。それは、技術的な側面からではありません。
なぜなら、ドライバーは、クルマをコントロールできるから運転席に座っているものなのです。
それは、技術的な問題では全くなく、ヨーロッパにおける厳しい考え方があるからです。

こんにちにおいても、ドライバーが有罪なのか、無罪なのかと問われます。
一方、クルマは有罪になることはありません。
アメリカでは、全く異なる歴史があります。
カーメーカーが、プロダクトに対してもっと厳しい責任を負っています。
そのようなわけで、アメリカ人はリラックスしていて、ドライバーの責任に関する質問にもヨーロッパほどにはストレスを感じないでしょう。
なぜなら、彼らはクルマはそもそも罪のある存在として使っているからです。
そしてカーメーカーが、その責任を負っています。

さらに、彼らは「責任の分担」という考え方も持っています。
クルマにも、ドライバーにも、道路にも、それぞれ均等に責任があるのです。
ですから、アメリカのアプローチは一見厳しいように見えるかもしれませんが、ヨーロッパのアプローチに比べると実は、イノベーションに対してよりフレンドリーと言えるかもしれません。
また、その違いは、クルマの検証の方法においても同様です。
アメリカでは、ある意味でセルフサーティフィケーションだと言えます。請求に応じて証明を与えます。

しかしヨーロッパでは、ソサエティがクルマのテストを行ない、そこで評価されたら、ソサエティがセーフティレベルに関する責任を持ちます。
このように、アメリカとヨーロッパではレギュレーションにおけるカルチャーが異なります。
今のところは、潜在的にアメリカはよりオープンです。