Sustainability Research 013 アンドレ・ジーク(後編)

大きな質問ですが、モータリゼーションにおいてヒトとクルマの関係をどう思いますか。

個人的には、未来には自動運転システムができると思います。
交通渋滞など特殊な状況下では100%だと確信します。
スピードが遅い中での事故は重大ではありませんが、事故の可能性は大きいものがあります。
ですから、私は自動運転のシステムがあれば良いと思います。
将来的に、特定区域での自動運転、あるいはもっと進んだ自動運転のシステムができると思います。
私はこれをポジティブに見ています。
交通渋滞の中での運転はつまらないですから、自動的にクルマが動くのがいいでしょう。
でも今日のようないい天気なら、自分で運転してどこかに行きたいですね。
ですから、自動運転も、自分自身が運転するのも、双方が選べればいいですね。
つまらないときも、あるいは危険な場合も選択できれば。
これはもちろん技術の進歩によるものですが、われわれは既にかなりのところまで成し遂げているのでは。

一つの問題は、レギュレーションつまり法律や規制です。
ウィーン条約がありますが、それはアメリカの法律に基本的に基づいていました。
ドイツでもなくヨーロッパでもなく、アメリカの法律にです。
あなたはクルマでドイツへもベルギーへも、どこへでも行けますが、法律に基づいて、 ウィーン条約では、常にドライバーはクルマをコントロールしなくてはなりません。
ドライバーは常に、クルマをコントロールし、常に運転できる状況でないといけません。
ウィーン条約の問題は、基本的に、ドイツの法律、交通法やPL法などおかまいなしであることです。
それはとてもシンプルで、クルマがクラッシュするとドライバーならお金を払わなくてはいけません。
お金が保険から出ていてもです。

写真

Stockholm / Sweden

論理的には、運転中のクルマは危険なものだ、大変重大な事故を起こすかもしれないし人を傷つける可能性がある、それを避けるために、保険に入っていなくてはならない、そういうことです。
それで、もしあなたにお金がなくても、被害者の家族に保険で払えます。
基本的な考えは、誰かが払わなくてはならないのだから、保険は必須であるということです。
でもこれは、運転者つまり責任のある人が人間であるからです。
責任がなければ、システムは無効です。
しかし私は、これが自動運転システムを導入できない理由にはならないと信じます。
これは現状を表しているに過ぎないと思います。

もし我々が変化しようとするとき、また新技術を世に出そうとするとき、我々はour wordsを変えなくてはいけません。
技術革新は、前へ前へと進みます。
技術革新はどんどん変化しているように見えますが、それはあたり前のことで、技術が与える利益は大変大きく、それによって法律を変えられることもあたり前のことです。
我々はどう順応できるでしょうか、ドイツの法律だけでなく、ヨーロッパの法にも、ウィーン条約にも。
どうやって、法律を変えるために進化できるでしょうか。

新技術には可能性があります。
これがドイツにとって鍵となります。
現在は、解決は簡単ではありませんが、ドイツの産業は法律を変えようとはしておらず、でも私は技術革新のためには変わらなくてはならないと信じています。
一日、1週間、1年と、基本法を変えるには長い時間が必要で、立法者などは多くの労力が必要でしょう。
我々は技術革新に積極的にならないといけませんが、産業は「いや、タッチしたくない」と言います。
私はこのように見ています、いつか「これはよいシステムなので、マーケットに早く出したい」というシステムがあっても、政府がそれは自動システムなどやり過ぎだとか早すぎだとノーを出すでしょうけれど、産業界がそうしたいと言い出して初めて政府は変化し、スタートできるのです。